日本の戦国時代は軍事大国であった

 


『日本の戦国時代は軍事大国であった』

 

初めて鉄砲が使われた“長篠の戦い”

鉄砲は、フランシスコザビエルら宣教者によって持ち込まれました。

 

キリスト教を布教して、日本を植民地化しようと考えていたイスパニア帝国の戦略でした。

 

最近のテレビの番組で、長篠の地域から当時の弾丸が見つかり、その鉛の魂は、遠く4000キロ離れたタイで採掘された鉛を使っていたとのことです。

 

その鉛を取り仕切っていたのが宣教師だったのです。

 

信長は宣教師の目的を警戒しながら、それを自分の国内統一に利用したのでした。

また、日本は、その鉄砲を日本刀で作った技術力でより強力な鉄砲に改良し、鍛冶屋の分業によって大量生産に至ったのです。

 

秀吉時代の鉄砲の数は、世界でも群を抜く数を持っていたようです。

その時点で世界一の鉄砲所有国になり、イスパニア帝国が日本侵略を諦めたとか。

軍事大国と言われた所以でした。

 

考えてみると、江戸時代の鎖国制度は、日本を植民地から守る最高の政策だったのかもしれません。

また、日本は約200年間も鎖国をしていたのに、明治維新を成功させました。

一気に、列強に成長することができたのは、日本人の団結力でしょうか。

 


話は飛びますが、第二次世界大戦であれほど大敗した日本が50年足らずで、次は、経済大国としてニューヨークのマンハッタンのビルを買い占めるまでになりました。

今では、アメリカや中国にITの世界でも、はるかに追い越されている現状です。

しかし、なんとうれしいことに9年ぶりにスーパーコンピューター「富岳」が世界1位になりました。

振り返ってみると、“日本は叩きのめされても必ず這い上がる”ということかもしれません。

これは、私の独りよがりでしょうか(笑)?


 

 

  
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